時の流れに身をまかせ

前回の自己紹介の続きです。

そんな僕ですが、大型免許を取ったのは今から5年前、21歳の時です。実は、地元の高校を卒業してすぐ自衛隊(海上)に入隊し、3年間勤めたその退職金で大型免許を取りに行きました

(ちなみに、辞めるまでの間、大特・ユニック、玉掛・重機の資格を取得した模様)

とにかく免許を取るのにお金が必要だったので、ある程度の貯蓄はしていたのですが、あれよあれよと免許を取るたびにお金が飛んでいき、あげくの果てには貯金がスッカラカーのカーラカラな状態になってしまいました(仕事を辞めてから地元に帰って約3ヶ月、働かないでひたすら遊び呆けてた訳ではない)

しかし、免許・資格というものは言うなれば自分の財産に等しいものです。自分がコツコツ貯めたお金で自分が取りたかった免許を取る。人から借りたお金で免許が取れたとしてもテキトーにしてしまい、せっかく大金を出して得たものが無駄になるのではないかと僕は思いますね。

 

自衛隊を辞める前日、今後の人生を考えたとき、どう過ごそうかなと漠然な気持ちで考えていました。他の辞めていく同期達は徐々に就活をしていき就職先を見つけるなか、僕だけは

「実家が畜産で牛豚を育ててるので、その跡を継ぎます。だから、就活はしません(就活がとにかく面倒だったので、この話は真っ赤な嘘です)」

と上司に話し、無事に了解を得て、大特やらの免許を取りに行ってバレることなく退職して、地元の大隅に帰ってきたのでございます。

ユニック、玉掛の資格を取ったのはいいものの、それが何に使うのかは全然分かっていませんでした。とりあえず親父から「使わないかもしれんけど、とりあえず取っとけ」とアドバイス(???)を受けた僕は、それを生かせる仕事ってないの?と聞いた所、このような返事が帰ってきました。

 

親父「大型免許を持っとけば、ユニック車、重機を回送するセルフに乗ることはできるけど…………… お前、トンチンカンだから取るのは難しいだろうなぁ………」

僕「…………はぁ???()」

 

人間のやる気スイッチって、人から言われた何気ない一言でパチンッて入るものなんですね(小言)

そのおかげか、「絶対に大型免許取ってやる!()」と決意が固まり、宮崎の佐土原まではるばると合宿免許で取りに行ったのであります(地元の鹿屋で受けようとしたけど、人数オーバーで受けることができなかった)

 

合宿免許2週間、卒験前日、何事もなくほぼパーフェクトで明日の試験も大丈夫だろうと言われたその日の夜、一本の電話が僕にかかってきました

僕「もしもし」

親父「おう、俺や。お前………合宿の方はいけな感じよ?」(この時、電話口で声がこもって鼻水をすする音がしたのは覚えている)

僕「今んとこ順調で、明日が卒験よ。なんかあったのね?」

なんとなく嫌な予感はしていました。そういう時に限り、それが見事に当たってしまうんですよね。

親父「俺の親父………お前のじいちゃんがさっき病院で息を引き取った。癌で入院してたのはお前も聞いちょったろ。明日明後日にはお通夜をするから、早く家に帰ってこい」

僕「…………はぁぁぁ???」

突然のことで頭が混乱するというより、もう頭の中に?マークがポンポンポンと無制限に沸いてくるようなそんな僕でした。先生に訳を話したところ、「試験は何もかも落ち着いてからでいいよ。それよりも、早くお家に帰ってあげなさい」と言われ、猛スピードで実家に帰宅。あれよこれよとお通夜、葬式を済ましてから約2週間後、改めて卒験を受け合格し、無事に免許証に大型免許を刻むことができました。

 

葬式を済ませ、遺品整理をしていたときに祖父の写真がたくさん出てきました。旅行に出かけたときや、家族で食事をしたときの集合写真、姉と弟とのツーショットが多いのに対し、僕と祖父が写ってる写真はあまりありませんでした(今も昔も僕が写真嫌いなため)

唯一、残っていた写真は一枚だけ。それは、当時4歳だった僕を抱いた祖父の写真。祖父の後ろには林業用大型トラックが一台、その荷台に座り恥ずかしげに2人でピースをしていました。

写真の後ろには汚い字で

「じいちゃんやおとうさんのような、トラックのうんてんしゅになる!!」

と書いてあり、間違いなくそれは僕の字でした。忘れていた祖父との思い出、どうせ叶いもしないだろうと周囲から言われ、悔しさの中置き去りにしていた自分の夢、自分でも夢を諦め、途方に暮れて自堕落で過ごした現実の日々がフラッシュバックしました。

そうだ。元から将来の夢があったじゃないか。ついに、それを叶える夢の一歩へ近づいたんだと、自分の中の熱がグツグツと沸き上がってきました。

きっかけとなったのは、小さい頃の家族旅行(だったかな?)で親父が家族みんなトラックに乗せて九州県内を走るというものがありました。真夜中、親父が運転して母親姉弟が寝静まったなか、僕だけが起きてひたすら高速の街灯、トンネル、下道の景色を眺めていたという思い出があります(本人の記憶は曖昧)

 

ついに念願だった大型免許を取得、本来ならば安定所に行って真面目に就職活動をするのですが、そこはまだ遊び盛りの20代。タカが外れ、連日夜中遊び回っていた僕を見かねたのか、ある日親父から呼び出しを食らいました(ちなみに、どこの会社も大型免許経験済しか受け付けませんと言われる始末だったのでほぼヤケクソだった)

親父「お前、ちゃんと就活やってんのか?(キレ気味)」

僕「え、やってるけど(知らんぷり)」

親父「そうか、ならお前にとびっきりのいい就職先が決まったからな」

僕「ウソ!マジで!?どこどこ??」

 

親父「こないだ、葬儀屋の人から農協のスタンドの人間が足りないと言われたから、お前を推薦しておいた。よって今すぐ、履歴書書いて明日、会社で面接に行ってこい。いいか?嫌とは言わせない。お前に拒否権はないんだからな(怒)ほれ、履歴書やるから丁寧に書けよ」

 

僕「……………はぁぁぁぁぁぁ!!!???」

 

こうして僕は、大型運転手とかけ離れたガソリンスタンドの店員へと就職が決まりました(ほぼ強制)

高校のときに取得した危険物乙4の資格がここで生かされるとは思いもしませんでした。人生は川の流れのようだと、誰かが言ってました。たぶん、僕のおばあちゃんかな??

それからというもの、ガソリンスタンドで働き続け約1年半、今働いてる会社と出逢うのは、また別なお話。

ジメジメした梅雨が終わり、カンカン照りな日々が続いていたあの日。お客さんが誰一人こないスタンドで、ガソスタ店員の制服を着用し、事務所のぬるまった風しか出てこないクーラーに当たりつつ、三途の川で水浴びしたほうが涼しいのではないかと考えていた当時の僕でした。

 

それは、7月に差し掛かった頃、21歳から22歳への誕生日を迎える3日前の暑い暑い日でした

 

 

 

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2件のコメント

  1. 大変興味深い内容です。
    当たり前ですが、トラック乗りにもいろんな人生があるんだなと改めて実感。
    続きを早くお願いします。
    いや、一気に読むと待機時間の楽しみがなくなるか・・・。
    週1更新くらいで。

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